目次

江村夏樹が作曲や演奏で実践していること
(何を考えてやっているか)
そのIX

江村夏樹


104.
「多いほどいいの?」

 フランツ・シューベルト、という、クラシック音楽ファンのあいだでは多作で知られるドイツロマン派の作曲家の名前を聞いていつも思うのは「書けばいいもんでもないだろうが…」という野次気分です。甚だ、現代社会におけるセックスの氾濫(のようにみえるもの)に似てまして、色気もないと(night)おもしろくないからー(color)、(以上で night color)、美男美女を侍らせ、苦しゅうない、ちこう寄れ、なんてね、少しお酒が入ると歌でも出したい勢いがつき、もっと色っぽいものも出しちゃったりなんかして、こういうむさ苦しい、暑苦しい饗宴がいやで乱交パーティーに参加しない人がいるんじゃないでしょうか。なんかさー(Sir ! )、「じゃあ、いつもの場所で会おうよ」→「さあみんな、飲もう」→「歌でも出すか」→「あたし、変な気分になってきちゃったわ、場所を変えましょう」→ ********(適当に好きなこと入れてください)→「夜も更けた。帰らないと明日の仕事に障るぞ」。このあとに「いいじゃない、社長に貢いでおいてあげる」「なぬ?俺たちの結婚はどうなるんだ?」「なに言ってるの?」などと続く場合があるがヴォイスチェンジャーとモザイクで誰だかわからない。以上を音楽に例えれば、主和音がジャーンと鳴ったあと属和音が来て、いろんなことにはなるがいずれ主和音に戻るという調性の階層構造がそれを表すようなもののようでいて、この構造にたいへん注意して調性の移り変わりを耳で追っていくと、実におもしろくないのですね。1+2が3になるようにあたりまえだ。だから18世紀なかばから変化音、変質音のたぐいが現れ、20世紀前半には和声体系自体が崩壊し、20世紀後半には「音楽」といわれるものの意味だとか信憑性だとか、そういうものも疑わなければならなくなってきたが、べつに、この一連の変遷は時代が変わったからどうしたということではない。音楽を取り巻く環境が変われば、新しい環境が音楽に反射して、いかにも音楽そのものが変わったように見えるということだろう。ちょっと危険なハイヒール(踏まれたら痛い!)や色香にむせぶ香水だって勝手だし、無味無臭の社会なんかないッ。音楽が担う意味が一見、いかようにでも変化するけむりのように感じられるのもそのせいであって(ホントかよ)、だからこそ、音楽の楽しみがあるんですよ、なんて、そんなこと言われたって、俺たちゃ困るよなあ。シューベルトがその31年の生涯に書きまくった作曲は楽想があちこちへさまよい、もとに戻りそうにないような転調があるから、百貨店の材木売り場のBGMには使えない。店長(転調)が困るからである。…じつに、くだらないなあ。

[2004年11月30日(火)/続きは後日]

105.
「追悼文?!」

 2002年にCD『云々』を発表したとき、五十嵐玄さんが批評文を書いてくれたが、そのなかにこういう一節がある。

 江村のピアノのタッチはきわめて独特のものだったことを思い出す。コンサート・ホールとは呼べないような場所で、またピアノもやや貧相なものだったが、非常に強い印象を残すものだった。ひょっとしたら、タッチの微妙なニュアンスが発生しない(或いは聴き取れない)ような条件が却って彼の演奏の特質を際立たせていたのかもしれない。その正確なタッチは曖昧な叙情を排した上で、その音楽の深層と表層とをつなぐメカニズムを訴えかけてくる。そこで展開されるのは、弾き手と聞き手と作品の3項の中で交されるレトリカルな操作なのである。(たしか古典派のピアノ作品だったな。)
※全文をお読みになりたい方はこちらをご参照ください。

埼玉県春日部市の路地


 ここで言及されているのは、1989年12月に渋谷で江村夏樹が主催したピアノソロコンサート(会場は、現在はなくなってしまったが「カワイサウンドシティ渋谷」のロックバンド練習用スタジオ、狭い会場に50人の観客がいました。当時、江村24歳、『太鼓堂』はまだなかった)で、「古典派のピアノ作品」とあるのは、モーツァルト『ピアノソナタ イ短調』である。ぼくは五十嵐さんが実のある批評をやってくれていたことがうれしくて飛び上がり、同時に、こりゃ追悼文じゃないか、ぼくは生きてるよとにやにやしたし、いまでもにやにやしています。五十嵐さんは、仕事が忙しくないときにはぼくのコンサートに脚を運んでくれているし、渋谷にある自分のお店にはちゃんと『云々』を置いてくれているし、それが商売だと言ったって、気を遣っていただいて大感謝でした。江村本人としては、こういう批評があるのかと思えば学ぶところも多いのです。ぼくは誇大広告がやりたくてこんなことを書いているわけではないけれど、『週間オンステージ新聞』のような一種の専門誌にかなり本音の批評が出たりすれば、批評文のほうだってもう少し目立つ場所においてあげたほうがいいんじゃないかという気持になったものです。それはともかく、「追悼」ということを言えば、スター作曲家の野村誠が、どう読んでも江村夏樹の追悼文とみられる長文をどこかに書いていた。ウェブ上で検索してみてください。そりゃね、何を書かれても書く人の自由だし、いろんな意味で皆さんの記事はまことに名誉なことで、だってさ、上下さかさまをまともに描写してもらったらおもしろいですよ。ひとにはそう見えているというところをすくい上げてもらったら本人が喜びます。

 「追悼」つながりで、ここ数年忘れられない能舞台がある。ホンモノのお葬式ではありません。能の世界では「幽玄能の原点」と称される『東北(とうぼく)』を観世嘉之のシテで観たのはたしか6年前の大宮薪能でだった。あれを幽玄と言うのか、青い夜明かりに赤い焚き木、ケヤキ(だったか、正確に覚えてません)の木の下に白い女面がぼわーっと浮かんで、地味な装束は微かに揺れている。どう見ても浮世のことではない。正直なところ「これは首吊りでは?」と思ったし、一緒に観ていた女の子などはため息まじりに「よくわかりません…」とつぶやいておりましたが、もしあのイメージを意識的にシテが演じていたとしたら、じつにむつかしい挑戦を突きつける曲ですね、『東北』という能曲は。あっちの世界とこっちの世界を行ったり来たり、のようなものが伝わってきた気がしたとすればこれも美的体験だった。人によっては薄気味悪いと思ったかもしれない。どこの国の曲であれ、「曲」というものは演者と観客が生かしもすれば、殺しもするものだ。おもしろいかつまらないかを「曲」が全部決めるということはないわけで、まれに演じ損ねがあったとしても継続するのが「曲」の本来である。別に言えば「曲」を演じることは賭けであり、出来不出来は運である。だから成功ばかり、失敗ばかりを論じたって意味ないんですよ。もちろん、演じるにあたって失敗は怖いものですが、「曲」そのものから要請された緊張とおぼしきものは、そもそも、演者がみずから望んでつかんだこと、というより、たまたま出くわした不可避の壁で、とにかくどうにか乗り越えるしかないように仕組まれた心理のからくりであるから、そこになにもなくて、誰が、わざわざ日程を調整してツクリモノなんか見物にいきますか(ホンモノなら観に行くよ、という意見もあるようですがここでは触れない)。このことは洋の東西南北を問わず既定の事実なんじゃないかと思う。ただ、国や地域が違えば、現れる形も変わってくる、だからおもしろいということこそ「言葉で説明できないこと」である。24歳のぼくの不完全な演奏から「レトリカルな操作」を読み取ってくれた五十嵐さんの批評は、明らかにこの点を踏まえており、現代社会のなかで、これが追悼文になってしまうぐらいのことは、止むを得ないでしょう、はっはっは。

[2004年12月7日(火)/続きは後日]

106.
「肩の力を抜くとどういうことになるか」

 こんなのはわかりきったことで、正解は「ぐでんぐでんになる」または「くてくてになる」だが、人間が酒も飲まず、腰も抜かさないのに「ぐでんぐでんになる」という状態は、微に入り細をうがつとけっこうああなってこうなって、ああ来てこう来た結果だから、はじめのうちはこちんこちんだったのが、次第にほどけるかふやけるかして、とうとう「ぐでんぐでん」になるというのが真相である。別に疲れてはいない、すりこぎで練りこまれた立派な成果なんだから、「くたくたになる」というのは間違いで、「くてくてになる」を正しいとしなければうそである。したがって正解はBでなければならない。

 応用例題として、「膀胱の力を抜くとどういうことになるか」があるが、紙数が尽きて本書巻末に解答を載せることが出来なかった。あきらめて別の道を探すなど、勝手にしたらいいだろう。

[2004年12月21日(火)/続きは後日]

107.
「謹賀新年」

2004年12月31日(金)の拙宅近所。
天災・異常気象でたいへんな1年でした。

迎春。今年もみんな元気で行ってみよー。

[2005年1月2日(日)/続きは後日]

108.
「スイッチ」

 趣味でパステル画を描いたり、ジグソーパズルを並べたり、ペーパークラフトで例えばケルンのドームを組み立てたり、写真を撮ったり、いろいろ、イメージを自分で形にするのが好きだったが、この数年来、徐々に遠ざかり、かなりご無沙汰だった。ピアノや作曲やウェブサイト運営、副業も含めた生活全般の形をどういうことにするか、あれこれやることが多すぎて趣味にまで手がまわらなかったんです。気がつくと、朝起きればコンピュータのキーボードか、ピアノの鍵盤か、作曲のB4用紙を載せた机か、どれかに向かう時間ばかりが増え、抱え込んだ作業量は膨大で、なーんかどこから片付ければいいのかわかんなくなり、他方、寝転んで読書の快楽だとか旅行散歩社交そのほか日常全般が砂漠化してきた。皿洗いや、部屋の観葉植物に水遣りまで面倒、粗衣粗食といえば聞こえはいいがようするにだらしなくなりました。

 お正月というのは、こういう混乱に楔を打って、ひとつのけじめをつけるにはいいタイミングだ。しかし、確かに時間が経たないと見えてこないこと、あるきっかけまで待たなければならないことは普通にあるが、意識の方向をちょっと変えてみるということは、どんなときにも心がけたほうがいいようである。

 それは、偶然ばったり行き当たるというより、気分をちょっとずつ揺さぶったり、ヨコへずらしてみようと意識的にあがいたり、かなり無駄にみえることをある一定期間継続した末になんかちょっと、いままで見えなかった角度からの意外な気付きがやってくるということらしい。好きな趣味が本業で埋もれてしまうのにもそれなりのわけがある。瓦礫の山をヨコへ押しのけて出てくるのは、その瓦礫の山のぶんだけの空間で、そんなところに金の延べ棒が山積みになってるわけがない。でも、空間が見つかる以前に瓦礫の山があることは経験的に確からしい。だから瓦礫の山を築いて、ダイナマイトで始末すると気分がすっとするスイッチになるなんて、そんなことが言いたいわけもない。

 文章家がときどき言うことのひとつに、「書いたことは現実の記憶から消えてしまう」というのがあるが、かりに意識から消えたように見えても、書いたことや原稿用紙が瓦礫みたいに積み重なっていくでしょう。それが財産かどうかという論議はしばらく措く。ぼくが読者さんの注意を惹きたいのは、現実の記憶が消えたその後になにかがあるということだ。それに気付くまえに、ぼくたちは何もないと勘違いして、ありがたそうな金の延べ棒を積んだり、楽しそうな色のペンキで壁をリフォームしたりとか、ケーキやイルミネーションやファンファーレ、要するに、そんなところにも家が欲しいのがぼくたち一般のようです。なるべく価値が一定のものを置くということなんだろう。だから、そもそもなにかあったと気づいたときには、その本来あったものがなにやら胡散臭いとか、スッとしないとか、あんがいこれが、人間の億劫や面倒なのかも知れない。瓦礫をどかして空間ができたから意識の角度を変えてみましょうなんて、急にそんなことを言われたってみんな困ってしまう。だからさしあたり、金の延べ棒でもおいてみようかということになり、結局、こういう景気づけで事態が全く活性化しないということも ないから、新しい行動のためのスイッチ=金の延べ棒、という等式が成り立つ瞬間もあるのでしょう。普通の生活水準から考えたら、ゴミを念のためストックして放っておく。なんかそういう剰余生産物がスイッチとして働くということが往々、必要なのだ。でも、だからといって、生活空間がスイッチだらけになったら金の延べ棒と交換するほうが空間の節約になるのかどうかまでは、よくわからないヨ。

[2005年1月11日(火)/続きは後日]

109.
「智恵がない」

 そもそも足りない智恵をしぼって、頭のまわらぬ病にかかりました。限りある資源は大切に扱わねばなりません。至言ですね。くれぐれも寒中ご自愛ください。少し春めいてきました。今日あたり、大当たりでしょうか。 くだらぬことばかりわめいて失礼しました。このへんで切り上げて、残りは画像でお楽しみください。


 広島県宮島の厳島神社。
 昨年の台風襲来で大破しましたが、 
 この写真は被害にあう前日に撮ったものです。
 翌朝、屋根が吹っ飛び、国宝の雅楽舞台が
 海に流されました。
 大迫力の画像で気分がいいと思います。
 
[2005年1月18日(火)/続きは後日]

110.
「すこし環境を変えてみる」

 なんか、言うひとに言わせると「空間」という考え方が非常に頭をもたげてくる心理状況というのは、一種の退行なのだそうで、時間構造の崩壊とおもてうらの関係にあるらしい。そういう主張をしているひとがいます。ある意味、事実だろう。空間ということは、自分と他人のあいだに距離があることで、例えば10キロも距離があれば声も届かないし相手の顔も見えない。電話が便利だが、お互いのいる場所柄や相手の表情がわからんという事態になれば、臨場感の欠如、などと評価されても仕方がない。こういうことが異なる2人のあいだではなくひとりの個人の脳裏で起こった場合、たしかにそれは退行とみなしうる。なぜかというと、自分ひとりで、自分と向き合うコミュニケーションが欠けたところに空間が生じたとき、むしろ空白というべきで、しかるべく心得がなければ、それは非常に空疎で貧弱な性質を伴うことが予想されるではないか。デコレーションケーキで楽しくなるようなログハウスとはちがうのだ。慌てて衝動買いをする・緊急にパーティ(パンティじゃないよ)を開く(大股を開かない)・食直後なのに飢えや渇きに襲われる、というようなことは健常な人にも起こりうる一過的な病態である。だから、なにかのケアが必要で、こういう症状が世界的に蔓延している、などと文明国の成金があぐらをかくなというのに。ちょっとぶざまではないか。

 空間というからには、そこには欠如がある。欠如だったら、かなり努力は要るが欠如を見てみるだけのゆとりがあったればこそ幸福というものだ。そんなところにボランティアは用事がない。意味ないよ。というふうに話を進めると、街ぐるみ人ぐるみどんどん不幸になっていくんだろうか。わかる人は教えてください。少なくとも、ヒモパンをほどいて大股を開くぐらいの空間はあるはずである[なんのフォローにもなってませんね]。

[2005年1月24日(月)/続きは後日]

111.
「手作業とコンピュータ」

 1月はほとんど音楽を聴かなかった。2月になったら、あれこれとものが動き出した。作業はコンピュータ上で行なうこともあるが、アイデアを考えるためには圧倒的に紙にペンでメモすることが多くなってきた。そうするとものが立体的に考えられるような気がするというのは、かなり長いあいだコンピュータ上のメモ帳にあることないこと書き込んできて、なにか抜け落ちたものがあることに気付いたからだろうか。紙とペンという物理がものを言うこともあるが、コンピュータだってひとつの便宜だったはずだ。(ぼくは作曲はいつも紙とペンと修正液を使って、机または画板の上で行ないます。コンピュータで記譜や演奏をやったことはないし、コンピュータ音楽の作曲でなければ、今後も音楽の制作にコンピュータを使うことはないと思います。)

 コンピュータの中にものを書き込むのはたいへん制約が多いということに気付いた。基本的に横文字の世界で、文章の縦書きに向かないのは機械の性質だとしても、違う要素をいくつか、ヨコに並列ということになると、もう不自由である。見せ消ちで以前のアイデアを保存しておくとか、前のアイデアにいまのアイデアを打ち重ねるとかいうことが、文字をひたすらヨコに打っていくパソコン方式では考えにくい。曲線や斜めの配置を行なうにはそれ専用のアプリケーションで作業ということになる。コンピュータ言語の心得があれば使い勝手も違うのでしょうが、別にコンピュータがなくてもできることを複雑なプログラムで記述しなければならない理由もなく、面倒だから勉強しない。プログラム言語の心得があればバカみたいに簡単に実現するはずのもので、手作業では手間がかかってしかたがないような操作もある。数学の高度な証明問題などは、コンピュータにまかせたほうが実用的ということはある。けれど、ぼくなど音楽をやっているぶんには、手作業でできれば手作業のほうがいいことも少なくないとなれば、なんのためのコンピュータ・プログラムなのかということのほうが多い。

 まあ、手作業は時間がかかるし、材料が膨大で段取りが複雑ならへたをすると気が狂ったりということが、ないとはいえないらしい。でも、コンピュータを使ったからみんな丸く収まるなんて保証もないから、だましだましでも、ない智恵を使って考える必要があるときには、手間を惜しまずに時間をかけたほうがいい。

 以上、あたりまえすぎておもしろくもなんともない業務報告になりました。ですので、ここ数日のちょっとした発見を書き添えて結びといたしましょう。いまぼくは、この拙稿を書いているおなじコンピュータにつないだプリンタで延々と、大量枚数の印刷をやっております。プリンタは、そのへんで売っている安物で、忠実に働いてくれています(おりこうさんですね)。が、とぬかく時間がかかるんだ。へたすれば半日も待っている。焦ったってしょうがないですよ。だから、なんかCDとか聴くんですね。昨晩はクラフトワーク『コンピュータ・ワールド』でした。皆さんも試してみられるとよいですよ。わりあい長いCDを聴くんです。CDだけ聴いているより、すこしおもしろく聞こえるよ。プリンタが稼動している反復音が廃棄音になっている。無責任にそれを放置して、好きなCDを聴く。なぜだかのびのびする。なんでなのか、分析すればかなり考えさせる心理や論理が出てくるとは思います。しかし、あえてそれを行なわないでおいて、CDを楽しむことにしちゃうのです。DVDではないほうがいいという気がする。思い違い、かなあ…。

今年1月初旬のとある風景

[2005年2月7日(月)/続きは後日]

112.
「狂気の殻(こわー!)」

 夢にドイツ人ピアニストのGさん(爺さんじゃないよ)が出てきました。ぼくがハチャトゥリアンが好きだという話で盛り上がっている。いったいなんなのかね、ぼくはGさんに、ハチャトゥリアンの音楽は「not by hearing …(と言って両耳をふさぎ)…but by smelling(と言って鼻の穴に指を突っ込む).」なんてことをやっていると、Gさんは日本語で「いつまでも鼻を詰まらせているから何かと思った」ってんですから、わたくしも、このGさんもどっかおかしいんじゃないのか。

 批評精神はけっこうだが、他人を批判して自分は狂気とやらの密室から出られないひとがいる。いったん出たら他人の批判が出来なくなるから密室にこもっているのが好きなのかも知れない。そういうひとにこそ、Gさんの登場がふさわしい。ちっとも口に苦くない良薬ならみんな喜んで飲むからである。その代わり病気は治らない。これが音楽伝統のあるべき姿かどうかは各自で勝手に考えてください。

[2005年2月24日(木)/続きは後日]

113.
「ロベルト・シューマンのこと」

 
 ロベルト・シューマン(1810-56) 
 



 シューマンの『交響的練習曲』を聴いていつも思うのは、いったい、30分も、何のために、何をやっているのだろう、という一種の距離感覚だ。曲の輪郭は暗譜しているし、次の展開がどうなるか、わかっていて、ポリーニの演奏で聴いたり、コルトー晩年の演奏で聴いたりしているが、この距離感覚は消えない。『謝肉祭』も同じで、聴いていると曲があらぬ中空へ飛んでいくような非現実感、充実を欠いているかのような、どこに焦点があるかわからないようなもつれが聴こえてくる。従来このイメージは、シューマンの詩情というような、説明になっているのかいないのかわからない言葉で言い表されてきた。知的というと言葉が悪いが、客観的な演奏態度がシューマン作品の解釈には特に必要である。


 音楽に親しみ始めた思春期、シューマンという名前を聞くだけで生理的な拒否にとらえられた。その後、自分で演奏した彼のピアノ曲は『子供の情景』『森の情景』というような標題音楽か、『アラベスク』や『ピアノソナタ第2番』のような、形式的に整頓された書式の作品かで、シューマンの音楽でいちばん問題になりそうな、例の楽想と展開のもつれの顕著な曲は避けて通った。一般に有名な『クライスレリアーナ』という作品が大きらいなのは今も変わりがない。何か要領を得ない。曲の進行が気まぐれでばらばらである。おそらく、この不統一を研究したほうがいいのだろうし、シューマンを聴こうと思ったら、わかりやすい楽想の展開なんか期待せずに、この「もつれ」を塊としてとらえて、徐々に分け入っていくほうがいいのだろう。『アラベスク』(唐草模様)という曲を「ご婦人のために」手ずから書いたシューマンである。精神病と戦いながら、この「もつれ」の性質について、自分ではよく知っていたのだろう。

 ここしばらく、シューマンの4曲の交響曲を聴き込んでいる。まず気がつくのは、これらは調性音楽の形をしているが、機能和声の起承転結からどこかはぐれているということだ。調性の器からはみ出したイメージの展開があって、しばしば曲の調性感覚と衝突している。ひとつの点に向かって限りなく収斂していくようでいて、音楽の展開そのものは混乱を来たし、交通整理に手間取っているようだ。表面的には、シューベルト以前の古典派の交響曲はもっと整頓されている。シューベルト以降にしても、メンデルスゾーンやブラームスの交響曲は、好き嫌いは別として、もう少し聴き取りやすい。シューマンの和声と管弦楽法はもつれていて、聴き手とのあいだになにかこんがらかった壁があり、すなおな聴取の邪魔をする。この壁はモーツァルトの作品にも伏在していたもので、従来の批評では作品内容の複雑さ・深みというような言葉で説明されることが多かった。深いか浅いか、ぼくにはよくわからない。シューマンが自分の表現を整頓することが上手でなかったから、彼の音楽はおもしろい、という聴き方ができれば、漠然とした好みの性質もわかってくるだろう。

[2005年2月28日(月)/続きは後日]

114.
「ネットサーフィンばかりやってないで、サイトを更新しなさい!」

 …あのですね、ただいま「太鼓堂第2号館」の設計に着手しまして、着手したはいいが、設計図を引くのが苦手であー、うざい。こんなとき、そんなとき、簡単でいいから、素材の味を生かした家庭料理が、きれいなネエチャンの手によってふるまわれたら、たちどころに、ネットサーフィンの窮屈な遊びなんか、公園の砂場におっぽり出して、素朴でいい、手料理のぬくもりさえあれば、ネエチャンのリンスの匂いとか、石油ストーブは気をつけて取り扱うにしても、もぉたまんないね。「太鼓堂第2号館」はちかぢか竣工予定なのに、どうやって設計図を描く?(ぽんと膝を打ち)それもネエチャンに手伝ってもらうんだった、忘れてた、バカだね(…バカ…、バカとは何だ…)。「春はね、恋の季節なの」耳がくすぐったいネエチャンの、鼻息が荒すぎてここは台所なのに、晩飯時、30年前のお値段で竿竹を売るラウドスピーカーの呼び声がうるせいぞ。こういう、いっそ現実離れしているのが、郷愁をかきたてる春の季節…らしい。いつ手に入れたのか、ネエチャンは1本500円の竿竹を5本抱え、にやけたしまりのない顔で、ぼくの耳のそばに相変わらず屈みながら、息を弾ませている。「先っちょに果物ナイフを結わえてナギナタ作るんだよ。テレビで教えてたからさ」どうせぼくのパンツも干すんだろうが、ナギナタなら、いっそネエチャンのいやらしい赤いミニスカートも、地方から職人が出てきて、果物ナイフで掻っ捌いてしまえばいいんだ。そういえば、今年度の年季を便所しますから寝側でしゅっ。

[2005年3月18日(金)/続きは後日]

115.
「多くのレコードが示すバッハ演奏のバラつき」

 たしか、最初に聴いたバッハ作品のレコードは、カール・リヒター指揮の『管弦楽組曲第2番』(フルート独奏はオーレル・ニコレ)と、ヘルムート・ヴァルハのオルガン独奏で『フーガ ト短調』じゃなかったかと思う。両者に共通しているのは端正でまじめな印象だった。特にヴァルハの演奏は気に入ったので、このバッハ演奏の大家と言われた盲目の鍵盤奏者のレコードをもう1枚買った。チェンバロ独奏による『イタリア協奏曲』『フランス風序曲』『半音階的幻想曲とフーガ』3曲セット。

 聴いてまず気がついたのは、演奏がよたっているということだった。右手と左手がずれるし、速度が小刻みに遅くなったり速くなったりする。そんなことはどうだっていい、で片付けようと思えばそれで済んでしまう程度の、演奏の完成度からいえば問題にならないことなのだが、このことがたいへん印象的だったから記憶にしっかり残るレコードだった。

 リヒターやミュンヒンガーのレコードですっかり『管弦楽組曲第2番』に親しんだ少しあと、ニコラウス・アルノンクール(当時の日本語表記は“ハノンコールト”)という人がこの曲の新録音を出した。日本国内のいわゆるバロックブーム・古楽ブームはこの前後から始まって、バブル景気の崩壊を超えて10年以上続く。リヒターやミュンヒンガーのアンサンブルは整然としていてキレが良くて、わかりやすくて楽しい録音だった。同じ曲をアルノンクールの演奏で聴いたとき、「迫力不足で拍子抜けがした」、というのに近いような、何か充実を欠いて聞こえたような、というより、どう聴いたらいいのか耳がついていかなかった。古楽器を使って、弦のフレージングや装飾音の扱いを解釈しなおしていて、デリケートに音がたゆたう演奏マナーを、中学生のぼくはつかみ所がなくて音響も聴きづらいと思ったのでした(この録音は、ワンポイントステレオマイク1本で収録されたと、どこかの記事に書いてあった)。

 バッハの『フランス組曲』と『フーガの技法』、それに『ゴールドベルク変奏曲』(最近の表記では“ゴルトベルク変奏曲”)はグレン・グールドのレコードで聴いた。だから、自分でこれらの曲を弾いたときには、この奇人ピアニスト特有の芯のある節回しと、ときに異常な速度、それからやや強迫的に精確な拍節感覚(別にけなしているわけではない。特徴を列挙するとこうなるのだ)にしっかり影響されて、グールドの教科書をなぞったような演奏だった。

 バッハという人じしんの性格云々はともかく、彼の音楽の信憑性は、ある一点に凝縮・収斂していくという性質のものではないようだ。確かにそれらは強い集中力の産物だが、この集中力じたいが絶えず外へ外へと拡大・拡散していく性質を持つ。吹き飛ばされるような遠心力が、バッハ音楽の運動にはある。あるひとつの焦点に聴き手の関心が集まらないような、さまざまな響きの多面体、というより多面性であって、バッハを演奏する行為は、聴き手を巻き込んだ「出来事」や「事件」に近い。それは、最良の場合、古楽アンサンブルが示す演奏が立証するところである。しかしその多面性も、ヨーロッパの古楽がもう珍しくなくなったこんにちでは、なにがしという演奏家の個性でありスタイルであるという評論におさまってしまう。こういう、「鈍器で殴り殺す」風潮への起爆剤として有効なのは、結局、次に現れる演奏家の資質とそのアプローチ以外にありえない。これはたいへん地道で、危険を伴うわりに報われないしごとだから、人目に触れない。それでも、現段階では、破綻は止むを得ない、ぐらいの気構えで、ということはつまり、しごとに伴うラジカリティは最初から背負って・予測して、何かやってみるほうがよいのだ。芸能界の外でそういう活動を続ける人は、以前からいたのである。

[2005年3月25日(土)/続きは後日]

116.
「集団ねえ…」

新潟県・妙高高原  個人の力ではどうにもならないシステムの大きさが、集団だったら変わるかもしれないと、まだ思っている人がいるのだろうか。マスメディアの悲観主義にあおられるぐらいなら自己を否定するという選択を選ばざるをえない人生も知られている。そういう人を、個人の力ではどうにもならなかったんだ、で片付けることができるならば、片付けてみたらいい。なんだ、社会は初めからここにあったんじゃないか。誰でも、どうにもならない個人を抱えて生きている。都市の集団というものは、正確に言えば集団ではなく、さも集団のような顔をした個人の集まりだ(それとも、都会と田舎をひっくり返す算段だろうか)。それはせいぜいサンプルである。だから問題は結局、個に立ち戻る。ということなら、何のための集団なのだろうか。もちろん、ひとと交わることは必要だし、おもしろい。キャッキャッキャ。しかし、このことと社会や政治をじかに結び付けていたら、社会に背を向けることにしかならない。それだったら趣味の問題で、勝手にすればいいということにもなりそうだ。悲観的な言語で詩を書く流儀が日本の文壇にかつてあったし、今もあることを指摘する人がいる。自分の問題に立ち返ってみよう。作曲家・ピアニストが詩人になれるかどうかは、よく考えたほうがいい。当人は詩人なんか目指していなかったりする。だとすれば、作曲家・ピアニストの詩など、せいぜい方便だろう。センチメンタルに行分けして、呼吸を整える体操にはなるかもしれない。そもそも、詩の外からやってきて、なんか詩の形をしたものを書いてみるという順序が変なのだ。ディレッタンティズムに気付くのも集団からの刺激を受けて、という場合があるが、ディレッタントなら個人の営みにすぎない。それを超えるのに、べつに個人も集団も区別はない。社会にいて気付くことがあるなら、社会も変わっていくんじゃないの?というようなことを言えば、そんなのは夢物語だと謗られるのがオチだけど、だからといってこれを集団作ることで乗り越えられるものでもないと思うよ。

[2005年4月2日(土)/続きは後日]

117.

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