目次

江村夏樹が作曲や演奏で実践していること
(何を考えてやっているか)

そのIV

江村夏樹


新年のご挨拶

日の出、2003年、明けましておめでとうございます

年が明けました。皆様のご健勝をお祈りいたします。
今年も太鼓堂をよろしくご指導ください。

2003年1月7日(火)

*   *   *

39.
《芸術と芸能(3)》

 芸能が地域に発生してある幅を持つ一定の価値を持つ以上、それは説明不可能な属性を含んでいるという方向へ、話を持っていきましょうか。ねぶた祭りと阿波踊りの取替えがきかないのは、その起源がまったく異なるからである。ねぶた祭りは青森で行われ、阿波踊りは徳島で行われる「わけ」がある。これが前に言った「説明不可能な属性」です。

 なんだ、そんなことかと呆れるかもしれないけれど、ここが肝心なので、もっと持ち運びやすいように見える各地の人形芝居が全国巡業しないのは、全国巡業しないだけの理由がある。それは一応、その土地の文化土壌と密接に結びついた催しだから、というひとことでくくることは出来るが、だからといってその土地ででなければ成り立たないものかというと、そうでもないかもしれない、しかし巡業はしない。説明が難しいのはここのところでしょうね。あれこれ理由があって地域に留まっているのなら、それは廃れていくはずである。しかし事実は必ずしもそうなっていない。理由を問わぬ何かが伏在して、地域に留まりながらしかも継続している芸能はとき・ところを超えて魅力を保ち続けるものである。これは一種のバランスがもたらす広域的なアプローチだということも出来そうだ。さまざまな芸能があっても決してひとつところ、例えば首都圏に収斂していかないのは、首都圏と地方とが互いに反発しあっているからなのではない。存在することは知られているが体験できない芸術、芸能は、それを体験したい一個人のところへ押しかけたりのしかかったりすることはないのである。

 芸術家と呼ばれる人たちは、本来地域的な価値を持つ芸能を各地に紹介する仕掛け人としての役割を担っているはずである。そのためには、まず芸術家自身が「自分の芸能」の性質を知悉していなければならない。芸術家じたいは価値を行使しない一般人だと考えてみるのである。彼らに出来るのは芸能を身につけて動くことであって、「自分の芸能」とは、彼ら個人個人の性格や嗜好、経済や健康状態に至るまでの私的な事情までを含み、おのおの、とき・ところに応じて展開する性質を持っている。芸術家は新しい価値を発明すると思われているけれど、実際には、手持ちの技術と生来のアイデアが展開し続けているために、固定された時間や場所の中で発明家に見える、ということなのじゃなかろうか。そんなに大それた価値がいきなり出現するということはありえない。すでにあったが知られていない価値を発見したら容量が大きかった、というようなことが、化け物扱いされたり天才呼ばわりされたりするんじゃないのかな。通常、芸術家は自分が価値の担い手であることにそれほど意識的ではないように見受けられる。それは、取り扱う事象と、芸術家自身の成り立ちが不可分で、彼らが無意識にといったら誤解を招くかな、まあいいや、無意識に価値を担っているからである。

 肝心なのは、ある範囲で流通しうる価値がそもそものはじめから存在することだ。芸能も芸術も芸術家も、みんなここから出発する。そしてこの価値は言語ではない。言語というのものは印を指差して名前をつける機能であり、芸能や芸術にはこの機能がない。言語のかわりに存在する正体を、行動することで表現するのが芸術や芸能ではないか。

[2003年1月9日(木)/続きは後日]

40.
《芸術と芸能(4)》

 音楽を行う人やものが存在し、どんな音楽も何かを表現している。何も表現していないものは音楽ではない。実はねェ、これは見かけより厄介な現実です。表現されてある何かを「内容」と呼ぶことにすると、この「内容」は特定一個人の創意工夫からだけ生じるのではない。ひとりの芸術家や芸人の例を見ても、彼が公表する成果は彼の頭脳の中で純粋培養されたものとか、理由もないのに生じたものとかではない。そうではなくて、創作という行動には必ず周りの人やものがかかわるのだ。少なくとも必然的にそうならざるを得ない。

 だってそうでしょうが。人間は必ず、ある環境のなかで生きているわけで、それを人それぞれなりに良くしていったり悪くしていったりしながら進歩したり退行したりしているわけだから、環境との連携を断ち切ることは不可能だということはたいていの人が知っている。当たり前といってもいいくらいだ。むろん犯罪などで不幸な環境におかれて、正常な環境を確保できない人々のことは新聞テレビの報道などで知っている。異常な環境に洗脳されて変なうたしか歌えない偽宗教の信者もいる。そういう環境もあるのだからしかたがない。どんな尋常な人間も100パーセント正しいということがない以上は、ぼくらの環境はある幅を持って良くなったり悪くなったりの繰り返しで、できることなら悪くならないように、良くなるように、人によっては願わないかもしれないが、願わなくたって自然に良くなる、少なくともどうにかなる可能性のほうが大きいんじゃないのか。

 以前、音楽の政治性ということが論議された時代があったし、今でもやっている人はやっている。ぼくの知る限り、長く続いた論議の中で、この「政治性」あるいは「政治」という言葉が手際よく定義された例を知らない。大勢が集まって意見交換、もめごとなどのあと、なんとか事態がおさまったり、逆に紛糾したり、そういうことをやっている人々の集合体、これはぼくらの現実そのものなんだと思う。戦争も喧嘩も犯罪もイヤだから、まとまらない話し合いは不毛だ、かなんか言ってるのは性的不能の証明みたいなもんです。今だって人々の意見は一致しない。一致しないから政治的な配慮が働く場合があるというだけの話ではないか。これが音楽の世界でも論議されるのは、音楽はなんかの役に立つのか立たないのかというような、機能や合理性を追求する場合がないこともないからやるんじゃないのか。音楽の機能の話がしたいのなら、もう少し別のところに焦点があるようにみえる。

[2003年1月17日(金)/続きは後日]

41.
《芸術と芸能(5)》

 まあね、芸能の枠組みを拡げて考えることはそんなにむつかしいことではないということは、一応、言える。個人的には誰だって芸能をやっている。その人にしか出来ない特技や趣味があればそれが芸能だ。ただし、これが個人を超えて成り立つための条件にはさまざまな属性が含まれ、特定の狭い範囲でしか流通しない「芸能」と、ある広さで知られるようになるそれとは区別される。また、芸能の担い手はなにも人間である必要はないので、テレビだってCDだって芸能だと考えていいんじゃないのか。無生物が主語になって動いている環境は、こんにち決して特別なものではなくなった。考えようによっては、これはずいぶん安直な環境のあり方で、だれがなにをやっても芸能で、どんなものも芸能なら結構なことじゃないかということに一応、なってしまう。価値もくそもない。あるいはみんな等しく貴重である。つまりどうだっていいということで、生き甲斐を見つけることと好き放題なんでもありの世界に住むことは同じになってしまう。現実には、面白いことや有益なことが存在するかどうかはともかく、否定的な価値、つまり「有害なこと」や「くだらないこと」が存在するのは確からしいから、否定的な価値をまず認めてかかることから世界の芸能は始まると言ったら、強引に過ぎますか。

 だとすると、芸能の本質の一部はちょっとくだらないこと、あるいは有害かもしれないこと、ということになる。こういうマイナスの価値を全然含まない営みはたぶん芸能ではないんだろう。言い換えれば芸能は絶対善ではない。だから、ある場所で喜ばれる芸能が他の場所では「なんだこりゃ」扱いされることがあるわけで、こういう可能性のない営みは芸能とは言えない。ところで、これが「なんだこりゃ」と思われても成り立つ場合には、もうそれは「芸能」から「芸術」に移行して、個的な、あるいは地域的な制約を受けない水平の価値を身につけたことになる。鶴見俊輔が発明した「限界芸術」という述語は、今言ったように考えると理解しやすくなるのではないだろうか。実はぼくにはこの述語の定義がよくつかめないのだが、「芸能」と「芸術」の境界領域に明らかに存在している価値の意味づけだということはわかる。ぼくの理解ではそんなことになるが、見当はずれだったらご指摘を乞う次第。

 「芸術」の現実的な問題は、この名前で呼ばれるツクリモノや営みが実際に役に立つか立たないかという審査を受けて落第する、というようなことで、落第の問題はどうでもよいが、芸術だって、そのルーツである芸能だって、どうでもいいようなことがそもそも重要な属性なのだから、これらを論議・検討してみようというときの言葉の堂々巡りは止むを得ないし、この堂々巡りは要するに事態を悪化させないための努力なのだから、結果がよく出ようと悪く出ようと、それは結果であって付随的な問題にすぎない。結果をよくしようと思うからろくな結果が出ないのではありませんか。

[2003年1月26日(日)/続きは後日]

42.
《芸術と芸能(6)》

 ひとくちに言って音楽の環境問題はむつかしいから、音楽を環境そのものに仕立てたり、逆に環境そのものを音楽化したり、というような発想も出て来やすいだろうね。ですけれども、そんじゃあ東京の渋谷の街並をどうしたら音楽化できるかとか、みんなが考え出したら音楽という概念じたいが分散してわけがわからなくなるんじゃないでしょうか。わけがわからなくなるから、音楽を外界から遮断してしまうようなコンサートホールがあちこちにできて、外界とは何の関係もない音楽をわけもなく聴くことに喜びを感じるべきだ、みたいな強迫観念に自らを追い込んでいく音楽家や音楽ファンはいないだろうか。

 思うに、音楽というものはあると便利なもので、便利なら、必要不必要を問わず、そこに成り立っており、成り立っているのならそれで文句はないじゃないか、というのがさしあたり理想的な音楽のあり方ですが、世の中にいろんな人がいるから、この「あり方」はひととおりではなく、あんまり種類が多いと雑多に過ぎて混乱が起こるかもしれない。しかし、だから交通整理して事態を丸く治めようというような考えは少しまとはずれじゃないか。むしろ多少混乱していたほうがいいくらいに考えて、混乱しないように統帥するとかいうような配慮はこの際不必要、とでも思ったほうが現実的です。いくらなんでもアナーキーに過ぎるようだが、現実に即して音楽する姿勢というのは、おそらくここから始まる。などと言いっぱなしでは無責任すぎるから付け加えるけれど、都市の音楽の諸相が雑多に過ぎて乱れているように見えるのは、ある程度は時間の問題、もう少し経ったらもっとよくなるよ、それから、音楽する経過で人は楽しみたいのか苦しみたいのか、というようなごく基本的な態度・基盤がまだよく見えていないのではないか。もうひとこと。音楽はロマンティックに流れやすい、しかしロマンティックであることは楽しいこととは別に関係がありませんよ、と言いたい気がする。

 どんなに能力のある音楽家だって、音楽する基本は自分が楽しむことなのだから、人の楽しみまで規定するようなやりかたはやめたほうがいいと思う。もし、ひとりの能力のある音楽家が都市の音楽の混乱を収めようという行動に、無意識にでも走っているのなら、それは彼が音楽の楽しみ方をまだよく知らないということなんじゃないか。従来こういう話はディスカッション形式でなされてきたものですが、ここでは江村夏樹ひとりでやっています。これが理想だというつもりはないけれど、音楽する人間なら考えたほうがいいし、こういうことで論議していつまでも見解の一致を見ないのは時間の無駄だという気がしてしかたがない。各地の芸能は別として、創られる音楽はそもそも個人の趣味世界がおおやけの言い回しの型を会得して成り立つものだから、その言い回しの型について意見交換するのは楽しいこと、だが個人の趣味を突付きまわしてなにか得るところがあるだろうか。ぼくなどにはちょっと考えにくいです。

[2002年2月13日(木)/ 続きは後日]

43.

 テレビのドラマやクイズ番組、ヴァラエティショーのたぐいがつまらないなと思ったとき、おなじものをインターネットの画面で見れば少しは面白くなるのだろうか。アダルトヴィデオのぼかしやモザイクが邪魔だなと思ったとき、DVDディスクを買えば肝心なところがきちんと見られるのだろうか。都会がうるさいから田舎に移動すれば静かになるのだろうか。客間の豪華オーディオで聴く音楽より、寝室のラジカセで聴く音楽のほうが楽しいだろうか。このような疑問には時と場合によっていろいろな回答があって、絶対にこれが正しいというような法則めいたものはないというのが、ぼくらの経験の教えるところです。ただ、特定の環境の中でしか成り立たない内容に執着していると気持ちが窮屈になってくる。ぼくらがひとつところに留まらないである範囲で移動するのは、必要だからという以外に、抱え込んでいる過去の蓄積を何らかのやり方で更新するという作用を求めるのでしょう。そこで、ひとつ考えたいことがあるんですが、「絶対に動かないもの」というものはあるだろうか。持ち運びがきかないだけでなく、意味内容も変わりようがなくて継承されるものというのは、あるようにも見えますけれども本当にあるんだろうか。

[2003年2月24日(月)/続きは後日]

44.

 あまり突飛なことを言うつもりはなくて、表現の媒体にはどんなものがあるか、条件を列挙したいだけなんです。お祭りや儀式をふつう表現とは言わない。しかし、ひとがなんかやっているんだから、何もやっていないよりは表現に近い。メディアということばは例えばCDRとかヴィデオカメラとかコンピュータとかいった、テクノロジーに関係した分野で用いられることが多い。テクノロジーが発達していなかった19世紀以前に、たとえばキリスト教の牧師さんがメディアだったとか、シェイクスピアの自作自演がメディアだったとか、歌舞伎が栄えた江戸情緒じたいがメディアだったとか、望遠鏡や顕微鏡や科学者がメディアだったとか、奇術師や占い師、祈祷師がメディアだったとか、短絡的に言うつもりはないけれど、およそそれに近かったということは事実で、だからこそ芸術・芸能・文化の技術が発達、洗練されたということは言えましょう。20世紀になってそういうものがテクノロジーで代用できるようになってきたらしいのも確かである。器具を買って使いこなせばそれはメディアであり、使っている人も技術を持つ以上はメディアの延長のようになってくると人間の気質とか性格、適性までメディアの一部、または全部だということになってきそうだね。職業からくる顔つきというものがあって、勤め人なら勤め人の、フリ−ランスならフリーランスの顔つきをしているが、これをカメラや車のボディのように考えてもおかしくないということになる。

 おかしくはないんだけれど、人間もろともメディアになったらやはり変なんじゃないのか。技術の洗練や専門化ということのほうが人間の気質、性格、適性を反映するのなら筋が通るが、逆に、人間の気質や性格や適性が技術や専門職を反映するかどうかは保証がないではないか。昔はよく学びよく遊んでいまはお年寄り、人生の甘いも苦いも噛み分けた人なら神様に違いない、あのおじいさんの言うことは天の声である、というふうにメディアが、展開していかない。人徳が技術だったら職人なんてものはいらない。専門家はスノッブかマニアだということになる。商店街に並んでいるバナナだって動物園のパンダだってメディアに近いということになったら、バナナ1本食べるのもパンダと遊ぶのも人間の機能 だというわけで、機能は膨大な規模で発達する余地があり、そのための材料も事欠かないからおもしろいとか、こういう考えで行動している人がいるかもしれないが厭な話だなあ。

 尋常な判断力は上のような志向を拒絶するはずなんです。ただし想像の範囲ではありうる話で、人間が勝手に想像するぶんには面白いこともあるような話、だとすればこれを創作の現場に持ち込む可能性は歓迎できることがある。しかしこのことに関する限り、原因と結果の順を逆にしたらおかしなことになるのであって、ぼくらの分野でいったらCDを作りますとか曲を書きますとかピアノを弾きますとかいうのは、ひとりのワルモノをやっつけるために世界平和を訴えて集会することでもなく、道具をそろえて相手を屈服させることでもない。案外このへんは取り違えやすいんじゃないかと思いましたので書いておくことにしました。

エジプトのピラミッド

[2003年3月2日(日)/続きは後日]

45.

 ご無沙汰ごめんなさい。ただいま作業中です。毎日風が冷たいですが皆さんお元気でお過ごしください。今日はこれでおしまいです。…これじゃあ物足りないから、男性週刊誌に載ってた匿名の記事を引き写しておこうか。ずるい、という人もいるだろうな。品性を疑う向きもありましょうが、音楽を語るとき、以下のようなメッセージが封じられるのは変だというところもないこともないから引用する。ぼくが何を言いたいんだかわからない人がいても、あの作曲家はおかしいという人がいても、お互いに重い槍の精神でよろしく、「思いやり」でしたー。




《その1》

年下君と遊んで今帰ってきた。
あそこがひりひりするよ。
若い子ってはじめでだったけど癖になりそう。
ゆっくり舐めて挿入前にいかせてくれる年上さんいないかな。
手だけ縛るのもおもしろそう。
剃らせてあげてもいいし。
お口にだしてもいいし。

また、濡れちゃった。
自分でしちゃおっと。



《その2》

きれいな身体って言われます。プールでくい込んだお尻を見ている男性の視線が好きです。競泳の水着ってぴったりしてて、おとなしい性格なので、誰にも話したことがありませんが、パットやショーツを脱いで水着を着たまま感じてみたい。水着に染みついちゃうぐらい感じたい。黒の薄いワンピースの水着を白く汚して。そののままバスタオルでかくした姿を見てほしい。恥ずかしいけど...激しく感じたい。32歳の主婦ですが、愛があって熱い人と不倫したいな。メールで口説いてね!!




 この2つはぼくの創作ではない。個人的にはきたない文章だと思うが、この際好みはどうでもいい。巷にごろごろしているこういう「表現」のかけらでも、音楽の中にはないと言い切れない。一流のポルノ作家の文章はもっとおもしろいから、くれぐれもうえの2つの引用がセックスの表現の代表だといっているのではないことをご理解ください。本日はここまで。いずれこの続きを書くと思います。

[2003年3月12日/続きは後日]

46.

 実際に異文化と接触するとき、外国の文化に魅力があれば受け入れたいと思うし、場合によっては自分がその担い手になってみたいとも思うだろう。さまざまな文化には伝統に由来する成り立ちがあって、 そのありようはそれぞれの文化ごとに違う。違わなければ面白くない。それぞれの文化の担い手の名手、達人は、よそものの追従を許さない公認の特技を身につけていて、彼らの芸を見聞するのはすばらしい体験です。ただ問題はこの先である。多くの文化には固有の「型」があることが多い。あるいは「型」を作り上げていこうとする方向性を持つ。いまのところこの図式は変わらずに継承されている。だけどこれで、どうやって異文化の相互交流ができるのか。誰かすごいやつがいる。おもしろいから、と見学しているうちに自分もやってみたくなる。やってみて、その「すごいやつ」と自分とは違うことに気がつき、自分の「型」というものを探し始める…というのがいわゆる学習の第一歩だとすると、これは、もしその自分の「型」がある段階にまで成長し、一般に知れ渡るようになったら、あとは発展性が途切れるのではないか。次の誰かがまたそれを模倣して別の「型」を作り、とやっていっても、一番最初の「すごいやつ」から脈々と受け継がれてきているはずの「一貫性」はどこへ行ってしまうのか。たんに「影響力」というような、つまり、最初に始めた人は偉い!みたいなドスの利いた風な「伝統」ではおぼつかないし、先達と後裔との認め合いや友情がだいじだといっても、それはへたをすると個人的な趣味世界に終わらないとも限らず、話の幅が狭くなる可能性がないとはいえない。

 こういうのは、数多くの人とかかわって身につく社交術が役立つ問題でもないように思われる。どれだけ多くの人とつきあったって、次に現れる人はまた別の態度で接してくるかもしれない。まえに身につけた社交術の応用で成り立ってくれればよいが、うまい話はそんなに多くないだろう。

 このお話を次へ導くためには、「型」が出来上がろうとする姿勢そのもののある部分を放擲して、未完結のままの態度でほかの地域の人やもの、外国の文化と接するのが意外に有効なんじゃないか、というのが目下ぼくが考えていることです。もちろんこのやり方だってひとつのマナーには違いない。しかし、自分の発見をひとつの「型」に練り上げてゆく途中で、「常にくすぐられていないと」「誘惑されていないと」、つまり、いい意味でも悪い意味でも好奇心というものが常に働いていないと、「型」を作る人はみな孤立するのではないか。逆を言えば、つまり孤立しないためには好奇心を常に働かせ、それを満足することを忘れない、ということだがこれは危険を伴う心構えで、へたをすると誘惑されているうちに自分が何を言いたかったか、生まれた街はどこだったか、現在自分が構えている安全で実りのある物質・精神世界を今の今までどこから仕込んできたかを忘れてしまう。外界から一時的にでも影響を受けたり、誘惑されたりしたときの感情の揺れの幅はたいへん大きなものだから、魅力を感じた対象に近づいていこうと思っても、実は母体である自分自身が抵抗する。この抵抗は魅力が大きいほど強く働く。だから、外来の文化を受容するときには、反作用といいますか、自分の文化を保護する機構が働くじゃない、警戒するわけ。さっきぼくが「好奇心を満足することは危険を伴う」と言ったのは、ほとんどの場合、好奇心や誘惑の対象に対してとっさに働く保護機能をとっ外さなければ対象に浸ることもできず、好奇心が満たされることもないからだ。

 ふたつの物質間の引力はそれらの物質の質量の二乗に比例するそうです。物理のことはさっぱりわからないが、(ありえない話)もしふたつの物質ががちゃーんとぶつかって壊れたらどうなるのか。ガラス玉だったらいいけれど、異なる人間の感情がもろにぶつかったら、心的外傷、いわゆるトラウマというやつが生じる。経験から言うと軽度のショックは歓迎できるが、重度のショックは避けるに越したことはないようである。そして、異文化に接触するのに不可避なのは、どちらかというと「重度のショック」のほうなのだ。ぼくはこのショックは軽減するか、長い時間をかけてすこしずつ体験したほうがいいと思う。いままでの世界文化の交流は、この「重度のショック」に対する配慮がおろそかで、思いやりのない、とげとげしい、不快な感覚を抑圧しすぎていなかっただろうか。

[2003年3月25日(火)/続きは後日]

47.
「御喜美江アコーディオンワークス2003」

 アコーディオン奏者、御喜美江のコンサート「アコーディオンワークス2003」。3月26日水曜日、東京文化会館小ホール。満席(500人かな)。満席だったから、ではなく、興行内容が面白かったから、成功していたと思います。登場した3人の日本人作曲家、野村誠、江村夏樹、林光(演奏順)は、みんなアカデミックな路線から外れたところで、どちらかというと地味に活動している。近年流行の野村さんも、目立たない江村も、楽壇の大御所・林さんも、作曲の国籍を日本に据えている点で共通している。その立脚がぶれていないことが評価される世相であり、日本だからという理由で攻撃の的になるような弱点をぜんぜん抱えていないところがこのコンサートのうまみだった。コンサートの形式が西洋的だからとか、なじみのない新しい音楽だからとか言って媚びたりてらったりがあれほどなかったコンサートも、近年あまり例がないように見える。会場が温泉共同体や井戸端集会のようにふやけて見えたと思えばそれは間違った評価だと思う。内容や雰囲気に棘がなくて、しかもメリハリがきいていたとすれば、こんな粋なことはない。御喜さんのセンス、と乱暴にひとことでくくることもできましょう。全面的に崇拝したってひとの勝手だがこのアコーディオンの開拓者は、自分自身も含めたあらゆるものごとに対して、すげえ行き届いた観察を四六時中忘れない人らしい。その好奇心の振幅は驚異的で、いつになってもマンネリズムに陥らない。誤解されるのを承知で書き付けますが御喜美江の高度な音楽技術は、このあくなき好奇心と切り離しては考えられない点でいつでも「基本的」である。だからおもしろいと続けて書くのは冷やかしではない。高踏的にならず、戯画にも陥らない。だから独自のおもしろさも生じる。ぼくらはアコーディオンを聴いているのではなく、音楽を聴いている。逆の体験も、ある意味おもしろいのだけれど、そういうアプローチは変格的なぶんだけ、毎回やったんじゃきわどいようで平凡な趣向である。

 というようなことを書くと、これがそのまま、コンサートの当事者の一人だった自分(江村)の自己弁護になってしまうから厄介なのだが、しかし実際に、前に書いたことの少なくとも四分の三ぐらいは念頭において委嘱作品『月を見ながら歌をうたうか』を書いたつもりである。わからないことでも、あまり好きじゃない音でも、書けることを書いた曲だから結果がコンサート会場でどう出るかは予測がつかなかった。ひとことで言って、わからないことも存在すればそれでOK、という音楽世界がありうると思いました。そういうものを表現しようと思ったとき、音こそは道具で、アコーディオンと御喜美江さんが揃えば、あらゆる伝統音楽が外に飛び出すような行動も起こせるのではないかと思った。これは別に革命的なアプローチではないし、いわんや伝統の否定でもない。音楽といわず、歴史を持つものが受け継がれるとき、以前と以後とのあいだで行われる「バトンタッチ」があり、その基本的な属性は本質的に説明不可能なものかもしれない。しかし保障されなければならないものこそはこの「バトンタッチ」=過去から現在へのつながりだと思ったから、このつながりそのものを作曲できないか、やってみたのが今回の作品です。

 プログラム前半に客演の大田智美さんと御喜さんとのデュオが2曲あった。ひとつは野村誠『FとI』、もうひとつ、夭逝したポーランドの作曲家クシャノフスキの『エコー』。野村が書いたのはひとつの擬態で、その一見気安いアトラクションや、環境音楽的曲調や、ばかばかしささえ感じさせるディスコ風照明効果だって、勘違いのようでいてつぼを得たものだ。この勘違い風が録音スタジオの中でも路上でもテレビでもない、コンサートホールの中でそれなりのおもしろさを醸すのは「失敗は成功の元」とか「楽あれば苦あり」「猫に小判」「棚から牡丹餅」などという日本のことわざに似ている。これはよくできたコンサート音楽で、野村さんが路上鍵盤ハーモニカ奏者として積んだ経験が生きていることは確かだが、逆に『FとI』が路上演奏に還元される確率は低い。クシャノフスキの曲は、そのものずばり、2人のアコーディオンがステージの左右に分れて、両端から音を受け渡す、ただそれだけのことですが、この「それだけのこと」の信憑性がものを言っている作品。こういう、効果と実質が拮抗しているところを言い当てる芸は創作というより頓知であって、アイデアの中に技術も構造も含まれている音楽は展開しない。そういう意味でこの曲は自己完結していて、抽象オブジェ、または実存主義的一こま漫画のようだ。林光の室内協奏曲「それがわかったら」は室内楽5人編成のアコーディオン協奏曲で3つの部分からできている。バロック音楽の合奏協奏曲の形式を翻訳し、音楽コントの面白さも含んでいて楽しい。というようなことは、むだなくすぐりがあると成り立たないことで、アカデミズムの「形式主義」(!)とも無縁なのだから曲芸に近い。年季の入った芸だなどと乱暴に片付けてはいけない。もう少しニヒルでもいいんじゃないのかと注文がつくぐらいのところで襟を正しているのがこの曲の強みである。この曲や野村作品などのように、従来から知られているアコーディオンの演奏法や音楽の形式を踏まえて書くことはたしかにアコーディオンを生かし、観客を陶酔させる。そのことじたいに異論はまったくないけれど、他方でアコーディオン音楽の類型を作り出しはしないか。

 このほかに独奏曲。スカルラッティのソナタ3曲、バッハのメヌエットほか小品、サティ、ピアソラ。名人芸の華々しさがなくたって成り立つプログラム。アンコールとして、ヴィヴァルディの協奏曲『春』第1楽章を出演者全員+野村誠と江村夏樹(ヴァイオリン独奏、山田百子)、名づけて「ももちゃんとたんぽぽオーケストラ」という顔ぶれで演奏するというおまけがついていました。美女たちと野獣たちのような小舞台、新聞批評はこのひとこまについてどう書くか、それとも書かないかな。

[2003年4月5日(土)/続きは後日]

48.
「神楽舞考」

 ぼくの住居はさいたま市にあって、正月には市街地近くの武蔵一ノ宮氷川神社に初詣に行く。元日から5日間、笛と太鼓を伴う神楽舞が催され、いくらでもいいからお金を払うと何事か祈祷をしてくれる。この馬鹿馬鹿しい芸能(と言ったって、別にバカにしているわけではない。この種の神事がなんとなくとぼけていると感じるのはぼくだけではないはず…)が大好きなので、なるべく毎年参拝に行くことにしている。この神楽舞の音楽や舞踏の成り立ちを分析したことはありませんが(あんまり分析したくないね)、とにかく太鼓のリズムは相当フクザツというか、出鱈目かいい加減にも聞こえる。鞨鼓の撥を振るう神社のおじいさんたち(なのか地元の有志なのかよくわからない、とにかくおじいさんたち)にも真剣みが感じられると言うよりは、また正月が来たから去年と似たようなことをやっていれば叱られずにすむような雰囲気だし、少しのあいだ誰かが休んだってほかの誰かが代わりに入るだろうから休んでも叱られないような気配である。このいい加減な神事は神社本殿・賽銭箱の押しくら饅頭のような喧騒から少し離れたところで澄まして行われていて、少し異質に見えるが、正体がわからんなりにどこやら楽しげなのでみんなが寄ってくる。1円でも、とにかくお金を置いておくと烏帽子を被ったおじいさんが家内安全かなんかぶつぶつ唱えながら紙細工のついた棒切れをぼくらの頭の上で振る。そのあいだはなんとなくおとなしくというかしおらしくというか、とにかくこうべを垂れて黙っておりますが、何をされているんだか、何しに来たんだか、なにやってんだか、よく納得がいかないんだが、納得がいかないなりにくすくすおかしかったりするうちになにやら有り難味いような気分になってきたりなんかして、いつまでこうべを垂れていたらいいのかわからないがだしぬけに烏帽子のおじいさんが「ハイありがとうございました」以下なにを言っているのかよく聞こえないがとにかく祈祷は終わったらしい。拍子抜けしたような気分とくすぐったくうれしいような気分が同居したまま帰宅するが、しかし、始まりもなく終わりもなく、どこかはっきりしないこの神楽舞が新年の神社から消えたら、都市空間の宗教法人が主催する住民総出の騒々しいアトラクションが残るだけで、初詣は味も素っ気もないだろう。

 奇妙なことにこの類の神社の神事は、その神社でしか行われない。神社専属の雅楽団体だったらたまに出張してテレビで演奏ぐらいするかもしれないが、神楽舞がテレビに出てきたのをみたことがない。しかも、このとぼけた神事の印象は意外に強烈なくせに、初詣の広場で行われているうちは絶対に脇役で、下手をすれば霞んで見え、なくてもいいかもしれないようなものである。初詣の現場はいろいろな出来事が同時進行して、音といい景色といい、かなり雑多な情報がいっぺんに参拝者の意識に飛び込んでくる。神楽舞はその喧騒の中で孤立するでもなく、かといって自己主張するでもなく、ただやっているだけだから広場のアトラクションの一部ではないように見えるが、そうかといって単独で行われると何の雰囲気もなくて孤立してしまう。これは神社の神楽だけではなく、郷土芸能一般の属性と言ってもよい。そして、文脈の飛躍を承知で書き付けると、ここにこの神楽舞に代表される「芸能」と、もっと組織化された「芸術」とのあいだに境界線を引くことも的外れではないようにみえる。「芸術」は、いろいろな形式があるが基本的に単体で独立して鑑賞に堪えうるものである。そこでは、うまい言葉が見つからないが「やるひと」と「見るひと」の区別があって、「見るひと」は「やるひと」にはなれないのが原則だという無意識の契約がある。これは「芸術」が神社の神事と違っていちおう宗教から切り離され、宗教的な基盤の無自覚なところでも成り立つものだと思われている、ということなのだが、じつはこれはあまり実際の説明になっていない。すぐれた「芸術」は宗教的な属性をかならずどこかに包含しているものである。「芸術」はその鑑賞者の心象裡に「芸術」が存在するかどうかわからなくても勝手に成り立ちうるという点で「芸能」とは異なっているが、他方で「芸能」が地元住民や観光客の自主性・自立性を促すものかどうか、少なくとも「芸能」の側から先んじて参加を要求したりすることがめったにないのも事実だ。両者の相違点は、それを見ているひとが空間的に行動するかしないか、である。「芸術」がいくら聴衆参加を促しても多くの場合不発に終わることを考えると、例えば神社の神事はより能動的な聴衆参加が許される条件を備えいている。そのかわり、神社の神事を真剣に見ているのは民俗学の研究者ぐらいのもので、その研究だって決して創造的なものとは言えず、せいぜい対象の属性をどの程度細かく観察して記述するかという博物学的な基準を示すのが目的のようなものである。

 以上を演繹して、創造性、平たく言って「芸術」や「芸能」の成り立ちとはつまるところ大して何もやらないようなものだと言い切るのはいくらなんでも非現実的である。しかし、実際に舞台をつくる人が自分の創造性をいつだってはっきりわきまえているのかどうかは保証の限りではない。逆の場合だってあるに違いない。ものごとがなりたつのは自然の成り行きで、いっさいの努力は不可抗力の流れの中に生じ、結果はいつの間にか発生するある種の偶発的なイヴェントに過ぎないから、その成り立ちに直接かかわっていない人がみるのは人為的な不思議ではなくてだれでもいつでもやっていること、せいぜいその拡大形だという考え方をすれば、神楽舞の拍子抜けした非現実感もひととおり説明できたことになる。

[2003年4月17日(木)/続きは後日]

49.
「悪ふざけについて」

この文章に雰囲気があっていると思われる画像

 これからのぼくがふざけの道を究めるための覚書なんかじゃないよ。読者とともにふざけるための導線を引いておこうなどという高級な企みでもない。歴史を調べて、今まで先人がどれだけふざけてきたかを紹介する実証主義的論考でもないし、世界情勢や日本社会にあふれているふざけ趣味に裏づけと批評を加える倫理手引きでもないし、青少年に理想のふざけを手ほどきする日常教科書でもないし、100年後の宇宙について論旨の破綻を省みずひたすら空想癖を膨らませておいて、自分は酒を飲んで寝てしまう体の怪文書でもないし、ナンセンス小説でもないし、つまり読者はなにがしか発展的なことをこの文章に期待して悪いということはないけれど、かなりの確率で当てが外れます。観光に行ってろくな食事にありつけずセブンイレブンに飛び込むような間の抜けた空気である(雰囲気ぶち壊し)。文化遺産保護のため、具体的な地名は伏せるが、ある観光地の洋食レストランで「湯葉ときのこのフェットチーネ」を昼飯に食した結果、午後半日がなにやらおちつかなかった経験、これはぼくの現実で皆さんとは関係がないかもしれませんが、平和ということはいくぶん間が抜けているというか、必ずしも幸福とは関係がないというか、別に、不幸だから平和でないということもないとも言えるし、これを要するに社会にはいろいろな属性があって個人の尊厳や収入の多寡とか、そういうのはこのさい枝葉末節だというところに生きる醍醐味もあるんだかないんだか知らないが、あるかも知れない。こういうことを考えながらまどろんで時々ものをつくったりするのは、これはこれでオポチニズム(ご都合主義)のひとつの形ですが、それで悪いこともないし、いいことかどうかもわからないし、自分もいいのか悪いのかわからないような自分の生き方があるとすれば、せいぜいやれることをやれるだけやっても、ふざけていることにしかならないかもしれない。

 例えば、誰が見てもうつくしーと思われる美女が町を歩いているとする。それでおわりだろうか。人間には所有欲があるんですが、所有欲の希薄な人もおりますし、濃厚な人もいる。創作の世界はまずこの、だれそれをうつくしーと感じる心のめばえから出発し、そのうつくしー人に固有のあらゆる属性を一枚一枚剥離して、全く、人間なのかさえわからないようなひとつのツクリモノに仕上げていく。これを昇華とかカタルシスとかいろんな理屈付けで説明しようとするだれかのような語り部も探せばいないことはない。しかし仏教に「空(くう)」ということばがあるように、誰が見てもうつくしー美女が歩いていたとしても誰も見ないかもしれない。誰がみてもうつくしー美女は、自分では美しく自己喧伝していないものだが、みんなが黙殺したがる美のようなものはえてして派手である。これを要するに美を目指したツクリモノとは派手で、かつ誰もがうつくしーと思うとは限らないものということになり、逆に誰もがうつくしーと思う美女は実は美しくなく、とってつけたような派手な「にせの美」が案外、絶対美(というものがあるとして、だよ)に近いということになり、文章がおかしなことになってしまった。美女のほうは時々街で見かけたり、知人に紹介されたり、テレビに出ていたりして、暗黙裡にみんなが「ああ、うつくしーな」と思うようになっていて、べつに美女じゃなくても治安のいい街にすむに越したことはなく、そういうことはお互い気を付け合って風紀のいい街にするとか、文章がまとまりませんから、くれぐれも犯罪や事故には気をつけよう。いや、美女だってまれに軽犯罪法に引っかかる程度のことはするかもしれないし、そういうのはまた別に可愛げがあって警察も許したり、先生も許したり、笑えるゴシップになって噂が街を明るくしたり、暗くしたりするかもしれない。一方でツクリモノのほうは、例えば道端の石仏なんか、好き放題に扱われて地域の信仰を支えていたりするが、落書きしてあったりね、古くなって壊れたり、球が飛んできて、当たって転げたり、車が突っ込んだり、コケが生えたりというようなことは、もうしかたがないから放っておきましょう。とにかく、これを要するに、うつくしさは攻撃や暴力的なあらゆるもの、監禁とかレイプとか強姦とか、石仏だからレイプされないなんて高をくくっていてはいけない、つまり「自由を奪う作為」の対象になるかもしれないし、ならないかもしれないが、万が一の場合に備えて美のようなものをこしらえるのがモノツクリのなりわいだとするのなら、以下結語のようなものを書く。ツクリモノに攻撃や暴力みたいなものを加えるのは結局、合法であり、倒錯であり、可愛い異常であり、人類愛のカスガイだったりするかもしれない。街がふざけている、人がふざけているということは、このように、うつくしさをコンクリートの防壁のように扱うことで治安を維持するひとつの方策を実施中という人間の智恵である。間が抜けていますねえ。なんかほっとする。これでいいのだ。こんなところで放尿してはいけない。そっとしておいてあげようよ。

[2003年5月2日(金)/続きは後日]

50.
「たまに絵を描く」

 素人絵描きとしてパステル画を制作することがたまにある。自分の楽しみで気に入った絵は部屋に飾っておく。グループ展なんかに出品するつもりもないし、習いに行く予定もない。ただ漫然と描いているだけのささやかな趣味である。古典や現代の絵を見るのも好きで展覧会にはまめに脚を運ぶほうだが、描くのも、見るのと同じぐらい好きである。

 あるものを描くのがいちばんいいらしい。本当はヌードモデルを使って人体デッサンを本格的にやりたいんですが、そこまでの勇気がない。なによりひとの裸をじっと観察し続ける根性がないし、友達の顔を描いた経験から言うと、モデルを使ってもろくなデッサンにならないから我流で誤魔化してしまう。相手が動くから描線がぶれて漫画もどきになる。顔でこの調子だから、モデルの全身をA4用紙に収めろと言ったって土台ムリだとあきらめている。雇われたモデルさんに気の毒だし、ぼくも気まずい。それで、題材は植物を含めた静物になることが多い。これなら動かないし、気まずくない。中学生のとき美術部に入ったのが、素人絵描きとしてのぼくの出発だったが、何故だか静物ばかり描いてAからHまでのシリーズを作った。学校のカンヴァスに描いたものは潰して置いてきてしまったが、画用紙に描いた『静物G』と『静物F』は保存してある。絵の具の使い方がわからないので好きなことやってマチエールを盛り上げた青春の記念碑。自分では気に入っているし、ぼくの青春がすべて終わってしまったと言うにはまだ青いから、あの日以来ぼくはずっと青春である。

 油絵からパステル画に切り替えたのは単に、扱いが簡単で画材の値段も安いからだった。A4のお絵描き帳を買ってきて鉢植えを描く。 好きに描くと言ったって実際は、なるべく似せて描いて元気な絵を作るのが精一杯だ。何かというと植物を描くのは、向上心がないせいもあるが、植物が好きなんだろう。好きなものは喜んで描ける。うまくいくかどうかは保証の限りではないけれど。

 プロの絵描きになろうと思ったら必須の人体デッサンの場合は、植物の場合のように簡単にはいきません。やったことないからわからないけれどいろんな話を聞くよ。印象の強い話をひとつ。画家ではないが、写真家の立木義浩がはじめてヌードを撮ったとき、やたら嗅覚の刺激に狼狽したと何かに書いていた。繊細な人なんだなあ。眼に訴えるものより、匂いに過敏に反応するというのは、感覚としてはよくわかる。エロティシズムの根本からぶつかっていったんでしょうね、立木さんは。趣味の美術だったら楽しめればいいので、立木さんほどに努力を要することが厭わしいからモデルさんの前には立たない。しかし人体は描いてみたい。それで古本屋に通い、グラビアヌードを仕入れてきてやたら模写したのが2000年の正月から春にかけてだった。

 ものが写真、それもおよそなぐさみものだから遠近法も美学もいい加減なシロモノで、こちらは裸体を描きたい欲ばかりが先行し、デッサンも何もあったもんじゃない。描線はゆがみ、見たところ可愛いげな少女の表情は関根勤や坂本龍一に化けてしまって修正に4日かかり徹夜、眼目のはずだったエロティシズムはどこかへ消えてしまい、結果は、いちおう女に見えるもののエロティシズムのかけらもない人形である。エロティシズムなんて高級なことを考えず、素直に人間を描いて生彩があればまだ喜べたんですが、非常に問題だったのは人間をまともに写したグラビア(男性モデルも含む)が巷にほとんど見当たらないことだった。もちろん出版物は表現だから、素人絵描きの模写用にモデルを提供する意図なんかないことはわかっている。しかしこれだけ写真集が氾濫しているのに人間ひとりをまともに、正面から捉えた作物がないなんておかしいよ。そりゃあ、ぼくは素人画家です。市販のグラビアの一見きらびやかな意匠をはぎとって骨格を見据えるデッサン力がないんだよと言われればそれまでだ。が、その素人のぼくが見ても、街の書店にあふれるヌードグラビアは興奮をかきたてるというより感興をそぐものがやたらに多かったと白状しなければならない。洋の東西を問わず、エロスを描きえた画家は、そこらの週刊誌のピンナップヌードにあるようなちゃちな趣向とは無縁だった。だが、さらにいえば、そんなら素人絵描きは芸術ヌードなんか目指さないで自慰をやっていればよかったのか。これじゃあ話にならんじゃないか。なんか拍子抜けして人体はあきらめてしまったものさ。見て楽しむ。よほど描きたくなったらまた描けばいいや。

 で、見て楽しもうとする。インターネットというものが普及して、天文学的数字を数えるウェブサイトがあるといわれる。書店めぐりをあきらめ、アダルトサイトというところに行ってみるが、いくらなんでも頭がおかしい人が多すぎるんじゃないか。そりゃあ、エロが好きな人は多いしぼくだってその一人です。ですが、せっかくウェブサイト作るんならもっとましなもの作ろうよ。出してくる美少女写真なるものを見ていると、聞こえが悪いけれど失踪届けか、ナチスの被害者のような人相体型写真写りがほとんどだ。サドもマゾもいい、ニューハーフもゲイもレズもあっていいんだけれど、きたなすぎると思います。あえて想像をたくましくするとみなさん趣味が良すぎてぼくの眼に触れるものだけがたまたま、あんなことになっているのでしょう。趣味ででも、人間を絵に描くようになるためにはもっと機が熟さなければならない。まだまだ青春なのだ。
(インターネット・ウェブサイトを見ていてコンピュータがウィルスにやられないよう、充分気をつけましょう。)

[2003年5月15日(木)/続きは後日]

51.
「雑感」

 このページではしばらく色事が巾を利かせており、色事と音楽とは何の関係があるのかと訝る向きもあるかもしれません。別に音楽の快楽を強引に性的悦楽に結びつけようという魂胆はない。だけど音楽で表現をやっている以上、その表現の質が問題になり、表現するのが人間ならエロティシズムだって当然かかわってくる。厭なのはね、音楽だからといってそのエロティシズムが変に気取っていることで、同じ気取りでも、ときは移り変わるのだから100年とかいうある程度まとまった時間の中で、100年前の気取りを継承しなくちゃならないのは変だぞ。しかし、19世紀西欧のロマンティック音楽の根は深く現代に浸透し、洗練を極めたのはいいが実態がわからなくなったんじゃないのか。混乱してロマンなのかムードなのか区別がつかないように見えますがいかがですか。そんならいっそ音楽から飛び出しちゃいましょうか。というわけで色事一般が巾を利かせていたわけですが、ぼくも含めて、人間の日常から色=エロを抜いたら生きる甲斐がないという意見は男女問わず少なくないだろうし(少ないかもしれないが、できれば、少なくないほうがいい)、生き甲斐ということでいえば、音楽に専心するのが生き甲斐そのものかどうかはしばらくおくとしても、生き甲斐に通じるところがあるのは事実、だとすれば音楽を聴いて感じる喜びや陶酔の中に入っているエロティシズムの振幅について、音楽の外から眺めてみることも無駄ではない。無駄ではないことにして、話を進めるんです。日常のエロティシズムには、程度の差はあってもどなたも期待のかかるところでしょうよ。ということになれば音楽がアピールする性的悦楽は「架空色事」(こんな言葉はないよ)、つまり精巧に仕組まれた音の修辞(レトリック)の産物、または副産物、である、と書きかけたが話が変だ。音楽で使われている音には意味を指し示す機能がないのが原則、控えめに言ってもタテマエで、音だけでセックスを組み立てるのは土台ムリ、ということにしておいたほうが話の糸口としては通りがいい。音からエロティシズムを感じるのは聴き手が作り手と共犯関係に入り、作り手は確信犯を演じて聴き手の連想をよりたくましく引き出すというようなからくりが働かないと、エロティックな音が生起する場所がない(音楽の作り手が音の象徴機能だけで明らかにそれとわかる気配を醸し出すことが出来るとすれば、これは一方では特殊技術、もう一方では変格的で、話の間口が狭くなる。それに人間の象徴機能なるものをそんなに易々と操作できる表現技術があるかどうか、保証の限りではない)。そもそも現実の性行為とは別に性的になんか感じさせられる物事があったとして、それは全部とは言わないがいくらかは想像の産物だとすれば、「架空色事」なんて命名は言語矛盾であり、ほんとうは「架空じゃないから色事」なのだ。そしてこの先は、作る人と聴く人の感覚が実体のない妄想なのか、飛躍はあっても現実に根を張った想像と連想なのか、という話題に移ろうとする。しかしこれは検証不可能な心的領域の問題になってしまって、文章で論じるぶんには、いったんここで終わりである。あとは具体的に個人的な経験の周辺をなぞって推論するのがエロティシズムの研究の唯一の手段だとすると、畢竟、これは初めから論じるものじゃないですよ、せいぜい博物学か書誌学、考古学、臨床心理学、たしかにこういう学問領域に音楽が裏付けられることは多いけれど、作る人は自分の創作意欲が飛躍しないということになる。これじゃあ広範な音楽的現実が一渡り説明できたところで貧困すぎて不満だなあ。音楽を全部実証しないと気が済まないわけではないが、事実や現象があり、おもしろいなあ、つまらないなあ、わかるなあ、わからないわ、だけでは現象の数だけ感想が氾濫するだけで、両方とも熟すことがなければエネルギー不足の感を免れないだろう。エネルギー不足はいやだ、つまらないと言いたいのです。

 我田引水だと非難されるのを承知で弁明しておくと、先日東京・渋谷で太鼓堂と時々自動が4日間にわたり主催した江村夏樹コンサートwith 時々自動『すきまの形』は、音楽音楽と目の色を変えて奔走することにもときには飽きがくるんだな、と自覚したぼくが音楽の外に出て、出来不出来を不問に付して、画廊という非音楽空間で音を使ってアピールできることは何か、試したものである。60人集客という狭い空間にかなり大勢来ていただいた。絶賛もあれば、黙殺に近い意見も聞く。もちろん、主催者として批評は大歓迎だし、甘受している。自己弁護ばかりやっているほど独りよがりではない。ピアノの名人芸で会場をうならせる手法ではぜったいに伝えられない、わかってもらえないことが、ぼくといわず音楽の世界に旧態依然として横たわっているのは明らかだからこそ、そこをわかってもらいたくて一見変則的なコンサートをやった。これでぼろ儲けをしようなどとは考えたこともない。改めてご来場くださった皆さんに感謝します。

[2003年6月5日(木)/続きは後日]

52.
「フェルマータまたはゲネラル・パウゼ」

 (このページの更新を怠けております。7月に入ったら再開します。お待ちください&乞御期待。あ、そういえば先日の大発見!才の乏しい作曲家も神童になれることについ最近気がつきました。いろんなところでピアノを弾いていると、まれに年代ものの「揺れるピアノ」にぶつかることがある。古くなるとねじかなんかがゆるむんでしょうね。しかし、こういうピアノをあなどってはいけないので、辛抱強く「揺れるピアノ」に付き合っていると知能指数が上がるらしい。「振動に慣れる」…。)

[2003年6月22日(日)/続きは後日]

53.
「好みの形」

 音楽を作る人も聴く人も、自分が嫌いなやりかたでは作ったり、聴いたりしたくないし、本当のことを言えば四六時中好きな音ばかりを聴いていたいのかも知れない。好きな音楽に陶酔することがなくて音楽を楽しむ甲斐がないのは事実だが、同時に、好きな音楽の対極には嫌いな音楽があり、好きも嫌いも問わないで純粋に音が存在するなんてことはありえない筈なんじゃないんですか。少なくとも、音全般を考えた場合、そこにある音を聴くときには、それに対する好き嫌いや必要の有無という判断が必ず混じるんじゃないんですか。なるべくなら嫌いな音は聞きたくないものであるが、好きな音ばかり聞いているわけにはいかないので、嫌いな音に対面したとき耳とアタマはどうするか、対策を立てておくという自立心が芽生える。そもそも絶対に好きな音と絶対に嫌いな音が分離しておのおの対立、並列していると簡単に言えない。わたくしどもはきまぐれだから、昨日好きだった音が今日は嫌いになるかもしれないし、聞くのもいやな音でも観察しながら聞いていれば心地よくなってきたりなんかして、いい加減なものですが、ものは何でも程度問題で、一定の物理量を超える音は好みから脱線していく、つまり、うるさくてかなわない轟音は、いくら情けが移って好きになっても48時間続けて聞いているわけにいかないというようなことがある。おそらく気持ちの問題も量ではかれることがいくらかあるに違いなくて、心地のいい音だからといって48時間聞いていたら飽きが来るか、嫌になるか、ともかく適当に切り上げて次に行ってみたくなるでしょう。おそらく音楽聴体験の時間と空間の推移(ひとつの音楽に対する興味の持ちようの変化、と言い換えてもよい)はこのたぐいの量の概念に大きく左右されています。こういうのをある国ではバランス問題といって、心の情操を維持するのに大切な考え方だと見ているようであった。

 シケたせんべいが好きだとか、のびたラーメンが好きだとかいう、わりかし生理に結びついた好みが人によっては相当頑固であるように、音や音楽に対する好みにも頑固な場合はあるらしい。このさい物理・心理両面からの存在論を展開するのは面倒だからやめておきましょう。ここで絶対に必要とも思えないことだし。ざっとみて確からしく思えるのは、音に対する好き嫌いには、物理量に依存する判断基準があったとしてもたいへん少ないということだろう。ここに毎日聴いて飽きない30分の音楽があるとする。30分の持続も、音波も、空間も、そこにいて音楽を聴く自分も一定の「量」には違いない。しかし、音楽に対する愛着や陶酔をどういう量に換算するんでしょう。これに関してさまざまにパラメトリックな医学実験が行われてきたし、音楽の創作の具体的な手順のうえでもこの医学実験そのほかが応用された実例があることは知っている。医学実験イコール創作ではないにしても、ずいぶんいろんな局面で医学実験だとか、それに似た音楽技術が創作に持ち込まれました。だけどこれは音楽という営みの片側を説明する方便にはなりえても、その全体にまでは応用のきかない考え方・手法なんじゃないのか。「好みの成り立ち」というか、「好みの形」というか、言い方はなんでもいいが、人がひとりいればその人に固有の好みのありようがあって、ある幅で変化成長する余地のある体系だということは、あたりまえすぎるからだれも言わないのかもしれないが、見過ごしがちでいて、案外、検討してみる価値のあることではないだろうか。なぜかというと、この体系は人間ひとりだけ、音楽ひとつだけの場合をとって独立に説明研究できないという元来の性質を持っているはずだからである。音楽こそは、この「好みの形」の体系ずばりそのものではないが、わりかしそれに近いらしい。これを言葉で云々するより音で実践したほうが実際的だし創造的だというのは音楽の宿命と言ってもよい。けれど直接音で実践したからといって、必ずしも音楽の担い手がなにを企てたかを具現したものになるなんて保障もない。むつかしく考えることもないが、だからといって音楽をそんなに大雑把にとらえてはいけない。音楽の技術や意味をざつな耳と言葉で解剖分析してもらいたくない。ということを一通り見渡したあとで、皆さん、好みの属性、好きなことや嫌いなことは言葉で伝えられることも多いから、もっと口に出して言ってみたらどうでしょうか。案外、言えないものです。

 ところで、話が飛びますが、先年亡くなったフランス文学者、河盛好蔵氏の名著『人とつき合う法』(新潮文庫)には興味深いことがたくさん書いてあるが、そのひとつにこういうのがある。

私は日本人というものは先天的に耳が悪いのではあるまいかという疑いをもっている。楽音と騒音、雑音との区別がつかないので、騒音に対して甚だ鈍感なのである。(「よき隣人」132頁)
これは鋭い洞察だと思う。当たっているような気がするが、いかがですか。
[2003年7月5日(土)/続きは後日]

54.
「高層ビルをめぐる連想」

 ちかごろ、高層ビルが別の高層ビルめがけて横から飛んできて追突し、そこから先はどうなるのか知らないがとにかく合体するという妙な連想が頭に浮かぶ(画像が見えるんじゃなくてあくまでも連想です)。合体と言っても、飛んできたほうの高層ビルは飛行機のように、あるいはウルトラマンのように横になって飛んできて、地面から突き出しているほうの高層ビルの中腹に斜めに突っ込むのである。そうだ、かれこれ2年近く前になるニューヨーク・国際貿易センタービルのテロ事件の映像がテロ事件でなく、旅客機の代わりに横になった高層ビルが飛んでくる。この連想は別にショッキングなものではないだけでなく、どこかユーモラスだ。高層建築が高層建築にぶつかるはずなのに破壊音が聞こえてこない。死傷者もいないようだし、ぶつかったほうの高層ビルがぶつかられた高層ビルの中腹に斜めに突っ込んだまま静止した姿は物騒どころか、逆にエレガントな風物である。どこか、イサム・ノグチの彫刻を思わせる幾何学。白昼の静謐。こんな連想がどこから出てくるのか、それなりの事情があるんだろうけれど詮索するの面倒。こんなところで哲学やってどうする。第一、哲学の材料にもならない。えーと構造が、高層ビルの構造が、別の高層ビルの別の構造と交わる必要も必然性もないが、とにかくうすぼんやりと、ぼくの連想ではこのふたつが交わることになっている。たぶん美しい光景なんでしょう。ぼくは幻覚を見たわけではないし、日ごろあまりの退屈に耐えかねてウソッパチをひねって開陳してるんでもない。想像。たぶんそういう構築物(高層ビルとは限らない)が現実にどこかにあったか、現在もあって、最近か以前か知らないけれどもぼくが実際にそいつを見て「すげえ」と思い、その後どうしたか知らないがこの感銘はぼくの意識下にもぐりこんで一過的で長期的な忘却、だったんでしょうと推測してみる。何の役にも立たない(絶対役に立たないと思う)この合体したふたつの構築物が今頃、妙なリアリティを伴ってぼくの脳裏に去来したのも、案外何かイイことがある前兆に違いないなどと勝手な解釈を施して、きりがないからもうこの話は放っておきましょう。

[2003年7月23日(水)/続きは後日]

55.
「暑中お見舞い申し上げます」

 8月上旬、あれこれの作業で頭が沸騰していました。何ですかこの夏は。知人のなかには、コップを流しに置こう、と思ってから立ち上がるまでに2時間もかかってしまった人がいます。このようにぼくだけでなく世間でも苦労が絶えないようですがこの夏は異常だてぇ。このさい日常生活と健康維持が大事。音楽のことは放っておきましょう。暑中お見舞い。

[2003年8月12日(水)/続きは後日]

56.

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