青柳聡さんのコメント

あのコンサートから1カ月が経とうとしています。
江村さんから雑談してみない?と誘われたのが1週間前。
当日遅れて会場に着いたのではじめから観てないですよ、と言ったら
記録したDVDを送ってくれました。
ですからこの雑談は当日の場のリアルな空気感とコンサートのメモ、
記録DVD、演奏者の雑談、作曲者の雑談などの多くの情報をもとに
成り立っているということになります。
なにも情報がないところで雑談をしたほうがよかったのかもしれませんが
すでに読んでしまったり、観てしまったものはしょうがありません。



まず思ったことは自分の意識がいろいろと移り変わっていくということでした。
自分の意識がスピーカーの会話を追いかけていたりサックスや箏、ヴァイオリンやピアノの音に反応したり、 突然発せられる役者の言葉に驚いたり、会場にあるペインティングに目がいったりと。
あちこち耳や目がうごいてしまう。
音や言葉のイメージの断片が自分のなかでたちあがったりオーバーラップする。だから普通のコンサートのように舞台で演奏されている音楽に集中するといった聴き方は不可能であるし、作曲者のたくらみというものもそこにあるのでしょう。もちろん単なるハプニング性をねらった演出の演奏会ともまた違ったかたちでしたし、ゴダールの映画を観ているのとも違います。

会場で体験している意識を点とするとDVDを観ている意識というのは面という次元の違いがありました。(スピーカーの会話が聞こえにくいというのもその要因かな、点というのは4次元のなかの点です)水面の波紋のような点がいっぱいあるカンジですね。それに加えて思ったことは、そもそもビデオを撮影している人間と会場にたちあったそれぞれの人間では、同じ時間を共有していても注意がいくところは違うということ。カメラの意識は自分と違うので違和感があるし、注目する箇所がちがうのでおもしろかった。ちょっとわき道にそれてしまったかな。
演奏者のかたがたはこの曲の演奏をとまどいながらリハをしたようですが本番の聴衆のかたがたもとまどいながらくぎづけになって聴いたり観たりしていたのではないでしょうか。
とにかく心理学の実験のような演奏会でした。

青柳聡